学びのカモコレとは?
2024年2月13日
学びのカモコレ
現在の蒲生小学校にはむかし、大きな永興寺というお寺がありました。大定山護法院永興寺は明徳年間(1390~1393)の室町時代に量外和尚によって開かれた蒲生の菩提寺でした。曹洞宗惣持寺派に属し、七つの伽藍と多くの末寺を持つ大きいお寺でしたが、明治2年に廃仏毀釈により廃寺となりました。
道路は、一般通行のほかに諸行事、祭礼など多目的に使われ、「馬場」と呼ばれて目抜き通りの八幡馬場は幅8メートルと設定されていました。蒲生麓集落にある他の馬場は幅6メートル、小路は2メートルでした。
江戸時代は藩の支配が厳しく、在郷武家でも茅ぶきの家が多くみられました。武家屋敷では、門の内側に石垣を複雑に築き、奥に直接入れないような仕組みに造ることが多く、いざという時の防御のためだと言われています。
清水家は現在の蒲生茶廊zenzaiとして活用されています。
保安4年(1123)、当時の蒲生院の惣領職となった蒲生上総介舜清が、豊前国(現在の大分県)の宇佐八幡宮を勧請し蒲生の総社としました。境内には樹齢約1,500年の巨木「蒲生の大クス」があり、昭和63年度に環境庁により日本一大きい木と認定されました。