明治時代から昭和の初めにかけて蒲生では養蚕が盛んでした。
昭和7年頃には577戸の養蚕農家がいたそうです。
蒲生橋を南に渡った所に機械製糸工場があり、アメリカに絹糸を出荷していました。
昭和15年に閉鎖されるまで、村の婦女子にとっての良い職場となっていました。

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