2023年6月16日
明治時代に馬車が利用できるまでは、川舟による運搬が盛んでした。 塩入橋の辺りは「塩入道(すえど)」と呼ばれ、常に5~6艘の川舟があり、主に米や木材、紙などの物資を帖佐まで運んでいました。 また、3月の節句には「船慰み」といって、船中での饗宴も催していました。
蒲生女子職業学校 標柱8
西馬場 標柱6