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    1. 2/3(土) 蒲生史談会に学ぶ蒲生麓の歴史

    〜歴史女子・歴史好き必聴!〜
    蒲生史談会に学ぶ蒲生麓の歴史 

    薩摩藩の麓には共通の歴史やその麓ならではの歴史があります。蒲生の歴史について地域の先生からじっくりと聞きましょう。会場は昔の文書も数多くあり、昭和初期にタイムスリップした感覚を味わえる、司馬遼太郎氏からも注目されたサムライ会社(蒲生士族共有社)に起源を有する蒲生殖産興行です。

    講師
     有馬純之
     蒲生史談会 会長
     元県立高校校長
     退職後、ふるさと蒲生にて加治木高校同窓会や蒲生育英会など社会教育活動に従事

    開催日時
     2/3(土) 10時〜12時

    会場
     蒲生殖産興業株式会社
     https://maps.app.goo.gl/jmqLsGgKXNK139XU6

    参加費
     1,000円(お茶菓子付き)

    定員
     10人

    申し込みはこちらより…
     https://x.gd/rrOBb

    2024年1月19日
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    1. 2/3(土) 蒲生史談会に学ぶ蒲生麓の歴史

    2024年1月19日
    カモコレ
  • 霧島神社 標柱24

    蒲生氏居城以来、蒲生氏の人々は霧島神宮(旧・霧島町)に月に一度参拝していましたが、あまりに遠方なので、神様をわけてもらってこの地に祀ったとされています。
    境内では、昭和40年代までは子ども相撲が行われるなど、地域住民に大切にされている場所となっています。

    2023年6月16日
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    霧島神社 標柱24

    2023年6月16日
  • 蒲生麓 標柱

    蒲生どん屋敷 標柱23

    保安4年(1123)に蒲生に入ったとされる蒲生上総介舜清は、その屋敷を現在の下久徳(本長谷バス停から200メートル北あたり)に屋敷を構えたといいます。
    城山にも蒲生城(竜ヶ城)を構えたが、平時はこの屋敷に住まったといわれていますが、今ではその面影はありません。

    2023年6月16日
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    蒲生どん屋敷 標柱23

    2023年6月16日
    蒲生麓 標柱
  • 蒲生麓 標柱

    幽栖寺 標柱22

    薩摩藩では約300年のあいだ念仏(一向宗)禁制となっていました。
    明治9年に信仰自由の発令を受けて、野町と米丸の門徒たちが組織した真信講が中心となってお寺を造ることにしました。
    明治10年に豪商渕上常右衛門らの喜捨によって蒲生説教所が開設され、明治13年には本堂が建立されました。そして明治23年に正式に幽栖寺と寺名を公称し現在に至っています。

    2023年6月16日
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    幽栖寺 標柱22

    2023年6月16日
    蒲生麓 標柱
  • 蒲生麓 標柱

    下馬場 標柱21

    今でも多くの武家門が残る中原通りは、古くから下馬場と呼ばれています。
    昭和30年代に県道として拡幅される以前は、写真のように幅6メートルぐらいの静かな通りだったようです。

    2023年6月16日
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    下馬場 標柱21

    2023年6月16日
    蒲生麓 標柱
  • 質屋小路 標柱20

    江戸時代、ここあたりは「野町」という商人が集まった場所でした。
    野町の入口には「垂れん口」と呼ばれた門があったそうです。
    明治初期の質屋・四代渕上常右衛門は特に成功し、明治10年の西南の役の際は、鹿児島へ帰る途上の西郷隆盛をもてなして自宅に1泊させたそうです。

    2023年6月16日
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    質屋小路 標柱20

    2023年6月16日
  • 蒲生麓 標柱

    蒲生どん墓 標柱19

    後田橋をわたった川東には蒲生氏の菩提寺であった法寿寺跡があり、そこに歴代蒲生氏の当主と一族の墓である五輪塔が31基残されています。
    今ある墓は第8代以降のもので、7代以前の墓はいまだ土の中に眠っているそうです。塔には梵字などの銘文が刻まれてかつての栄華を静かに物語っています。

    2023年6月16日
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    蒲生どん墓 標柱19

    2023年6月16日
    蒲生麓 標柱
  • 蒲生麓 標柱

    上馬場(町馬場) 標柱18

    江戸から明治時代にかけて、商店は「野町」とよばれる限られた場所に集まっていましたが、大正時代から昭和期にかけて段々と現在のくすくす館の方まで広がっていったようです。
    大正時代、「蒲生市」(今も続いている)が開かれた際は、歩く事もままならないほどの賑わいをみせていました。

    2023年6月16日
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    上馬場(町馬場) 標柱18

    2023年6月16日
    蒲生麓 標柱
  • 蒲生麓 標柱

    後田馬場 標柱17

    現在、住宅が多いこの通りですが、昭和初期から中期にかけて、竹内医院(産婦人科医、後に姶良町へ移転)、福応寺(後に新辻馬場に移転)をはじめ、眼科医院、風呂屋、鍛冶屋、下駄屋、桶屋、電気屋、鰹節屋、青果屋、豆腐屋などがあり、大変賑わっていました。

    2023年6月16日
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    後田馬場 標柱17

    2023年6月16日
    蒲生麓 標柱
  • 製糸工場 標柱16

    明治時代から昭和の初めにかけて蒲生では養蚕が盛んでした。
    昭和7年頃には577戸の養蚕農家がいたそうです。
    蒲生橋を南に渡った所に機械製糸工場があり、アメリカに絹糸を出荷していました。
    昭和15年に閉鎖されるまで、村の婦女子にとっての良い職場となっていました。

    2023年6月16日
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    製糸工場 標柱16

    2023年6月16日

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